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2009/06/04

辛淑玉「怒りの方法」

著者の「怒り」の定義は以下の部分に要約されている。
「怒る」は、言葉で自分の感情を表現すること
「キレル」は、表現する言葉を失ったときの状態
「怒る」は、人間関係を築き、つなぐためにするもの
「キレル」は、人間関係を完全に切るためにするもの

この本の前半は、著者自身の自分史から「怒り」を表現することの困難さを説明している。この中では、「私が私として生きるため」に怒るのだ、と言う。また、自分の成功体験や自信があることで、「怒り」が夢や願望(「出世して会社を変える」)になり、自分を弱いと感じるものは「怒り」を絶望(あるいは、あきらめ)にしてしまう、と。

後半は「怒り」の表現方法、「怒り」の受け止め方の手がかりとも言えるいくつかの方法論と著者自身が仕掛けた反石原都知事ムーブメントとも言えるイベントの説明である。

この執筆時点で著者は、イベント化することが「社会への新しい怒り方」となるという新しい「怒り」の表現方法を模索していたようだ。「怒り」の表現方法は「闘い」の方法論となり、仲間を作り社会に声を上げるためのイベントへと進化している。

そうしたイベント化の成功要素としては
  • 見る:そのまま見て楽しむもの
  • もらう:体験や情報をもらう
  • 参加する:その人がかかわったり主役になれる場を作ること
が挙げられている。

「学歴」が高い人は能力が高いというよりも「やればできる」「私にわからないはずがない」という自信が身に付いている、という記述には納得。この自信が「怒り」を持つための大きな力になるのだ。

今、キレル人が多いのは裏返すと、自信をなくし、効果的な表現のできない人が増加している、ということだろうか。

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