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2010/08/22

塩澤進午「日本モーターレース 創造の軌跡」

第二次世界大戦終戦後、自動車のレースが興行という形で始まる。その立ち上げというか始まりから、レースカー製作、サーキット作り、JAFとの争いと敗北、となんだか大河ドラマのような世界。
外車輸入がかなり利権化していたらしいそのころからレースをしたい人たちがいた、というのも「どんだけ、レースが好きなんだ。」とつっこみたくなるところだが。
登場する名前はこの時代のモータースポーツを語ると必ず出てくる、生沢徹、高橋国光、浮谷東次郎、桜井真一郎、福沢幸雄などなど。アメリカ人も豪華でビル・フランス、ロジャー・ペンスキー、マリオ・アンドレッティなど、NASCAR、Indycarのビッグネームが並ぶ。

この本の面白さは2つある。1つは、これらのレーサーたちがまだ始まったばかりの日本のモーターレースの中でなんとか速い車を手に入れて勝とうとお互いに競い、著者などレース開催・運営側はコースの設営からレース賞金の調達にいたるまで動き回る。今のレースではこんなに高額の賞金が出ることはなくなってしまったのだが、今では退出したいろんなスポンサーが参加していたこともわかる。モーターレースも日本経済も立ち上がりの勢いを持っていた時代だったということだろう。

もうひとつはJAF、NAC、鈴鹿サーキット、富士スピートウェイなどのサーキット建設や団体の利権争い。ここに河野一郎(富士スピードウェイ建設に関係していた)など政治家が登場しているのも初めて知った。一つ間違えば河野洋平氏は富士スピードウェイでF1を主催していたかもしれない。
また、関東管区警察局長から天下りしたJAFの守谷英太郎理事が嘘をついてまで補助金を申請し、著者とNACを潰しにかかったエピソードなどは「天下り法人」がいかにもやりそうだと思う人の多いエピソードではないだろうか。
最終的に著者はJAFとJAF傘下のレースから抜けてむつ湾スピードウェイでのレースを開催した、というところで本書が終わる。

あとがきのように書かれた24章は著者の理想とするサーキットとレースの構想と、モータスポーツの元締め団体でありながらモータースポーツを振興しないJAFについての不満がまとめて書かれている。警察庁長官高橋幹夫氏が会長に就任し

まず氏は、おおよそ100万人のJAF会員に配布するJAF MATE誌を発行するジェイ・エイ・エフメイト社という会社を設立します。
JAFに吸いつく「トンネル会社」です。近年のこの会社の社長は、前警察庁四国管区警察局長奥山昭彦氏です。ご承知のように、JAFのこの本の特徴は、一切返本がないということが第一、次に一ページ千万円と言われるほど広告料が高いということが第二の点です。競馬など、派手ごのみの高橋氏は次の1977年のF1日本グランプリを手がけます。富士スピードウェイでのこのイベントは主催者としての仮の名が何であろうが、JAFが自らの資金を投入した1964年の第2回の鈴鹿のグランプリに次ぐ二度目の大勝負でした。
この章で気になるのは1975年近辺に出されたと言うルールで、
更に日本中のモーターレースの競技映像、つまりテレビの放映権や写真などの使用権はJAFに所属するというルールを作ります。「公認競技の競技映像における全ての権利をJAFが有する」という文章です。
という文章が本当なのか(あるいは今でも同じ状況なのか)は気になるところだ。これだとレース主催団体は公認料を払った上にほとんど収入を挙げるすべがなさそうに見える。

モータースポーツ自体の低迷という現状を見ると、ここに書かれたオーバルのレースで数万人がグランドスタンドで喝采する、というのが夢のような話。1700万人を超える会員数のJAFの余裕資金をモータースポーツに回してくれれば、と思う関係者も多いに違いない。基本的にはロードサービスの公益法人であるJAFとモーターレースをまとめる機能は別にしておくべきだろう。一緒にしている意味があまりないし、レースに興味のない人がそこにいても役に立たないし。

この本は購入時点ではなぜかamazonでは扱っておらず、bk1で購入した。何社かあって取扱い範囲が少しずつ違っていることの有難みを感じた。(現在はamazonでも取扱いがある)

編集があまりかかわらなかったのか内容に枝葉の部分が多いのが少し気にはなるがモータースポーツが好きな人が読むといろいろと面白い本だと思う。 JAFが取りまとめ団体になっていることが当然というほとんどの人にとっては、「こんな時代があったのか」という驚きとともに、正常な状態はどういう風だろうか、と考え直す機会となるかもしれない。

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