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2011/06/24

森 暢平、香山 リカ、白河 桃子、 水無田気流 「雅子さま論争」

この本をカバーをかけずに電車で読んでいると、向かいの座席に座っている女子高生と思しき二人が、え?と言った顔で見上げ、隣の女子を肘でつついて知らせていた。

水無田気流によれば、若い世代は「雅子さま問題」には関心が薄いらしい。

グローバル化や日本型雇用慣行のほころびなどにより、人生の先行きが不透明で不安定なのは、男性も女性も一緒。自分の努力だけでは、どうしようもない事態の拡大も同様である。
(略)
だから、若い世代は、中高年ほど雅子さまには興味がない。雅子さまが、あそこまで中高年たちの「癪に障る」感じもピンとこない。「私的な外食」報道などに対してはムッとしても、「嫁として不適格」「女のくせに生意気」とは思わない。単純に、恵まれた人の贅沢な振る舞いとしか見えないのである。

高校生世代にも雅子さま論争は興味の対象ではないだろう。その人をタイトルに本が書かれていることに驚きを感じたのだろうか。

7人の著者のうち、複数の人が、雅子妃と対照する形で紀子妃と美智子皇后に言及しているのが興味深い。「雅子妃の挫折と悲劇の傍らで、際立つのが美智子妃のスーパーぶりである。」(湯山玲子)
「あの伝統と格式に押しつぶされず、のほほんと立ち回っていらっしゃるご様子に、私は震撼さえ覚える。」(水無田気流)

白川桃子が書いているほどには、均等法第一世代は雅子妃にシンパシーを感じていないのではないかと思うが、社会的・経済的な環境が今の状況を作り出してる部分は少なくないと思う。
仮に日本でバブルからゆるやかにマイルドなインフレと低成長に移行できていたら、社会が豊かになる一方、今ほど皇室の細かな事件に一般市民が食いつくこともなかったんじゃないだろうか。
恵まれない自分たちとの対比で「巨大なコネと家系」という側面が浮き出てきてる気がする。その根本には市民側には自分たちは幸せになってないという意識があると思う。

読者は実際に病気が悪いのかどうかが気になる段階は過ぎているので、7人の中に香山リカをあえて入れたのは微妙。一番面白く読んだのは、水無田気流の「バブル世代女性は強化プリンセス・マサコの夢を見るか」だった。